御提案

柳田國男生誕125周年に向けて

西暦2000年は丁度柳田國男生誕125周年にあたる。 先日麗澤大学のモース博士と話していて是非何かやったらという話が出た。 彼も資金的な面で何処かの財団から資金をひいて来られるかも知れないと迄仰っていた。 その後谷川健一先生とお話しする機会を得、宮古島に「海上の道研究所」を設立したら良いという話が出た。 この話は立ち消えになってしまったが、非常に意義深いものと思った。是非実現したいものである。

柳田國男生誕125周年記念事業

宮古島に「海上の道研究所」を設立しよう!

先ずは沖縄

「遠野物語」から始まる柳田國男の旅も「海上の道」で終わり、日本人のアイデンティティーに深い影響を与えています。 基地問題を抱える沖縄の環境保護と経済振興という二つの相容れない要素に挟まれた立場は、逆から言えば、普遍主義の名の下に押し付けられる画一的な政策を通して真の普遍主義を追求するには最適な環境と言えます。 取分け宮古島は沖縄本島からも300キロ離れ琉球弧の中でも特殊な環境にあります。特に日本神道の源とも言うべきシャーマニズムが生活の中に根づき、隔絶されているが故に保持出来るという二律背反する要素を孕む特殊な環境とも言え、今後益々問われるエコロジーを考える良い場所とも言えます。 柳田國男がいみじくも結論した通り、先ずは沖縄問題を解決する事が日本に課せられた急務であり、沖縄問題を解決出来て始めて日本も国際社会の仲間入りが出来るとも言えます。

再生塾構想(ヤポネシア・ルネサンス=スデガフー)

エコロジカル・アイランド宮古島を文化の発信基地にしよう!

未来を先取りする事、これからの文明ははヒューマニズムとナチュラリズムのハーモニズムである。 これは柳田國男が曾て夢見た「水上大学」構想に繋がるスピリチュアル・ムーブメントである。 今日本が必要としているのは、何にもまして意識改革であり、スピリチュアル・ビッグバンである。 これ以外に日本が世界で生き残る方法は無い。

21世紀に向けて、日本が個の確立を疎外する「甘えの構造」を取払いマクロコスモスに飛立てるのは今しか無い。 自分で勝ち取らず与えられた自由は有り難味が薄いかも知れないが、今度こそ自分達の力でやり遂げなければならない。

「海上の道研究所」を日本の「プラトン・アカデミー」に。(超アカデミズムの追究)

「信仰」も「学問」も一度原初の姿に戻す

これは筆者のあくまでも推論だが、柳田國男は鴎外の影響を強く受けた人であり、西欧の歴史の流れに強い影響を受けていた事は間違い無く、彼の頭に描いていたのはフランスのアカデミーよりもルネサンス期のプラトン・アカデミーに近いと思うからである。 又、彼のメンタリティーは丁度ルネサンス期の「神学」と「哲学」のシンクレティズムに近く、「信じる事」と「考える事」の二つだけの要素だけで歴史の糸を辿り、限りなく普遍的なものを追求し復び同じ糸を辿ってその間の誤りを訂正し乍ら元に戻る恰も瞑想の様なものであり、それの繰り返しだからである。 これが神道を「キリスト教や仏教の起る前の全世界人の信仰」と位置付ける柳田の言う「史心」である。 「信仰」も「学問」も一度原初の姿に戻す、その意味で沖縄の発見は彼にとって非常に重要だったのである。

日本と西欧世界との根本的違いは、普遍性追求姿勢の欠除であり、これがSafety & Securityに対する考え方の違いを生み出している。 全ての日本人にとって、Proceed at your own riskという自由世界の基本的なルールを学ぶ事は必須であり、自由世界に「暗黙の了解」というものは無く、「お婆ちゃんの知恵」的「非言語系の知」では世界を動かす事は出来ないと認識する必要がある。

「今日の世の中のさまざまの現象には、原因がなくてこうなっているものは一つもない。それが判れば説明となり、判らなければ疑いとなり誤解となって、あるいは我々を不安心な人にしたり、あるいは無益に苦悶させたりする。」と柳田國男がいみじくも言った様に、「非言語系の知」に頼る限り不安心な人が増え、無益な苦悩が増えるのである。

超越的なもの所謂「プラトン的イデア」と言われているものについては、中世ヨーロッパの人間が祈りと哲学的体験を通して身に着けた様に「哲学的体験」から学び取らなくてはいけない。 「哲学」を「学ぶ」のでなく「体験」するのであり、哲学を学ぶものと思っている内は何も掴む事は出来ない。 「信仰」も「学問」も一度原初の姿に戻すという筆者の考え方はここにある。

「すべては良きものから発して良きものへ向う。現在に喜びを持て、富に憧れるな、位階を望むな過激を避けよ、争いも避けよ、現在に喜びを」

メディチ家のプラトン・アカデミーの入り口にはこう記されていたという。

私が大事にしている物の一つに祖父のブロンズの像がある。 これは彫刻家の西 常雄さんがお作りになり五体おこした内の一体であり、最初お話があった時祖父は、自分の首が骨董品屋に自分の死後並んだりするのは好ましくないという理由で断わったそうである。 幸いな事に残りは私の実家に一体と後の三体は祖父の記念館にあるそうなので心配はいらないが、私の所にある一体については責任重大である。

筆者はこれを宮古島の遠見に海の方に向けて立て、碑に、かの「大海に流れ入る日をほと遠み」の句を刻むのを将来の夢としているのです。

【第二部】 【沖縄発見の意義】 【HOME PAGE】

未だ何も具体的なアイディアはありませんが、柳田國男の想いを是非実現したいと思います。

賛同して頂ける方々は下記宛てに是非メールを頂きたいと願って居ります。


柳田芳秋

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