自伝

動機 ―序に代えて―

これは戦後生れとでも言うか、言わば柳田國男の監修した国語の教科書で育った民俗学者を祖父に持った団塊の世代の一人の人間が、受けた教育の内容と実際の社会の齟齬に如何に悩まされたかの記録である。 言わば筆者の自分探しの旅の記録でもある。

國男が、

「一方母から受け継いだ片意地な潔癖なども、世渡りの上には少し不便であったが、これとても子孫が似てくれないことを願うほど、悪いものとは思っていない。」
と言っている様に、極個人的な問題かも知れないが、当の本人にとっては大問題でもある。  元来勉強家でない私は、学生時代は遊び回っていたし、就職してからは仕事関連の本しか読まなかったので、自分の本質を掴み切れていない状態が長く続いてしまったみたいであるが、気が付いた時は時既にお遅しの感が否めないものになっていた。  会社を辞め家に籠って物思いに耽っていた時、自分は一体何が不満なのかを頭を一度白紙の状態にして、何の予備知識も無い状態でありのままに書き留めておこうと思い、小冊子に纏めた事がある。 執筆の動機は、話してもなかなか理解して貰えない自分の考えを、一冊に纏めておけば、名刺代りに配れるし、何よりも、このまま世間から遊離してしまい、人知れず何処かでのたれ死にをしても、家の押し入れにこの本が残っていれば、家族が後で見て「ああ、芳秋はこんな事で悩んでいたんだ」と判って呉れると思ったからである。 その時見付けたのが次の一文である。
「学問と道楽との差は、必ずしも之に由って衣食すると否とに由るもので無い。 我々は仮にこの短い生涯の更に数千分の一しか是が為に割き費し得ずとも、それが偉大なる人間研究の片端であり、真理の殿堂の一礎石であることを意識することによって、明白に単なる遊戯趣味の生活と識別せられることが出来るのである。」
 その時最初に書いた文章を御紹介させて頂く。

結局・矢張り・そこいら辺

「何を考えていても、何かをしていても、いつもぶち当ってしまうところ、足を引っ張ってしまうもの、何か変だなと感じるもの、まずそれを解決してから進みたい何か。 そんな事を考えている内に十年経ってしまった。 余生を如何に生きるか、これが今の私に課せられた課題である。  結局とどのつまり、私の勘違いしていた事は、年をとれば皆物が分って来て、どんどん進歩していくものだと思い込んでいたことである。 ある時ふと、『親からインプリントされた物が間違っていたら大変だぞ』と言う疑問が湧いて、これが学校の先生、会社の上役と拡がって行くのだが、この目上の者不信が焦りを生じさせ、やる気を無くさせる元凶のようであった。  私は四人兄弟の末っ子であるので、いつも自分が間違っていると思い込まされていたみたいである。三十過ぎる迄年だけは追い付けないと言う事に気が付かなかったのだ。 つまり人間は一時たりとも同じ時は無いということにもつながり、思い付いた時が行動に移す時でもあるという事である。  最近今迄持ち続けていた疑問がやっと自分なりに分かるところ迄来て、気分的にも自分を攻めまくることがなくなり、非常に楽になって来たので、丁度人生の半ばを過ぎた記念にもなる事であるし、書き記しておきたい。」

その前の年にヨーロッパを旅し、イタリアのフィレンツェからシエナを訪ねた時、町の真中の広場に座って周りを眺めていると何故か初めてでないような気がした。 不思議な事に全然道にも迷わない、その時は冗談できっと自分は前世はフランスからシエナに来た吟遊詩人に違いない等と言っていたが、同時に祖父がヨーロッパに居た時も今の儘だったのだなと思った。  帰国後、臼井吉見さんの「柳田國男回想」の中の渡辺紳一郎さんの稿を読んでいると、祖父が朝日新聞に居た時分、「ヨーロッパのどこへ留学するにしても、イタリアだけは是非見物するといい、西洋文明の深みが判るよ」「『即興詩人』を愛読してますから、あれに出てくる所は行くつもりです」「あれは文学というよりは旅行案内だ、でもフィレンツェが抜けているいるのは残念だ」と話したと書かれていた。 ルネサンス気分に浸っていた自分にとっては最高の情報だった。 その当時、祖父の教育理念と私が常日頃考えていた事の共通のキーワード的なものを見付け、血の中にある捨てがたいものを感じた時、たまたまその頃阿含宗出版社から出ている「アーガマ」で日本人の死生観の特集があり、宗教学の鎌田東二先生が、柳田國男は「先祖の話」の中で「祖父が孫に生まれて来るという事が、或いは通則であった時代もあった」と言い、自らもそれを信じていたという様な内容の稿をお書きになっているのを読んで驚き、同時に何か強い力が自分の魂に働き掛けるのを感じたものである。 それ迄神の世界を信じ、霊の世界を信じていた積もりでも、先祖の霊との繋がり迄はなかなか気が回らなくて疎かにしていた感がある。

小冊子執筆の動機は、自分がどうして社会に馴染めないのかという問題点を探るという非常に個人的な問題だった。 一度人生を白紙に戻すという試みの中でどうしても白紙に戻せなかった二つの要素、血の中にある考え込んでしまう性質(納得ずくで先に進みたい性質)とクリスチャンである事の二つの要素をキーに再度考察した結果、矢張り接点は「和魂洋才」という日本の「特異体質」にあると判断しその事を踏まえて二十一世紀に向けての在り方を探るという旅がその時始まったのである。 今思えば追い詰められ孤立した自分が、安心欲求をキリスト教に、帰属欲求を祖父に求め最後迄執着したとも言えるのである。 全ての執着を取り去るのが人生に於ける最大目標とも言えるが、こればかりは非常に難しい。  私は本を読む前に、常に先ず自分で考える事を実践している。 読書というものは時に頭を混乱させ、余計な先入観を植え付ける事がしばしばある。 下手な予備知識があると、却って柔軟性を欠く事に陥り易く、変な固定観念が出来ない頭の柔らかい内に自分で考えることが重要であると確信する一人である。

稚拙な文章で恥ずかしいので、余り書きたく無いのだが、その頃自分が書いた文章を読むと、現在の自分の考えが良く理解出来るので、恥を忍んで御紹介させて頂く。

自分で考える事

「私が会社を辞めてから、一時家に籠って悩んでいた事があった。 色々な本を読んでも難し過ぎるし、考え疲れて、どうした物かと思案に暮れている時、ふと哲学とはこうして自分で考える事にあるのではないかと思い付いたのだ。  暫くした或日、本屋を歩いていた時、澤瀉敬久先生の『「自分で考える」ということ』という本を見付けて驚喜してしまった。 この本はわたしにとって一生離せないと思う程度になる本で、いまでも一冊だけ良い本の名を挙げろと言われたら、文句無しにこの、『「自分で考える」ということ』を挙げると思うくらいである。  何故我々が自分で考えるのを止めてしまったのか、これは言い過ぎとしても、これは教育に問題があると言わざるを得ないのである。 詰め込み型の教育は、只事実を暗記するだけに終始する事になり、疑問を持つ暇も無い位受験勉強に追われ、大学に入学すれば、その反動で遊んでばかりいる事になるのである。 型通りの平均的人間ばかり造りだす教育体系は、明治維新から西洋の文化を急速に学び取ろうとして居た頃の名残なのか、百年の遅れを取り戻すために焦っていた日本人の受信型の性質、自己植民型の性質に由来するのではないだろうか。  私がこの本と出会い、少なくとも哲学というものに対して構えてしまう気持がなくなったことは、如何に澤瀉先生という方が、偉大な哲学者で誰にでも理解し易い平易な文章でお話になり、又お書きになっているからだろうと思う。 物質文明、或いは拡大再生産に疑問を持って会社を辞め、人生について深く考えていた自分にこの本がきっかけとなり、少し明かりが見えたのである。 つまり自分で考えるという事は、頭を使うという事であって、教科書を繙いてばかり居ると、それに一生を費やしてしまうという事である。 少なくとも、昔の人は教科書など無くても立派なことを言い、書いている訳で、我々は多少書物に頼り過ぎているのではないだろうか。  昔まだ私が勤めていた頃、三菱総研の牧野さんの講演を聴く機会があり、その中で牧野さんがおっしゃったことに、経済成長が二十倍になっても人間は「味の素」を二十倍使う訳ではない、それでも「味の素」という会社は伸びている、それは頭を使って別の商品を開発しているからに他ならない、このように君たちも頭を使わなくてはいけない、と言う様な事をおっしゃって、頭の半分が空なら、頭を全部使っても半分しか使っていないのと同じだ、とかなり厳しい口調でおっしゃったのを今でも覚えている。」

 

自分で一生懸命考えて、その後で誰かが同じ事を書いていたりすると、無性に嬉しいものである。 面白いもので、それがノーベル賞受賞者だったりすると尚更である。

頭脳について

「私は元来人間の脳は我々が通常考えているよりも数段良く出来ていると思っている。  以前父に自分の頭は夜眠っている時でも物を考えていて、朝には問題を解決していることがあり、ひょっとして自分は天才じゃないかと話したことがある。最近になって、知人の一人に、自分の母親も同じことを言っていたという人を見つけた。彼女の母上は数学の先生で、数学の問題を解くのが何よりも楽しみだということである。  最近ノーベル賞受賞者のセント‐ジェルジ博士の書いた『狂った猿』という本を偶然読んでいて、博士も同じことを言っているのを発見し、ノーベル賞受賞者が言っているならまず間違いないだろうと思った。このように人間の脳はかなり良く出来ているらしい。  議論していて、よく貴方は勘がいいからと言われるが、私はこれは勘がいいのではなくて、与えられた条件を突き詰めて考えると、人間の頭は一番確立の高い答えを引き出してくるから、間違いが少なくなり、当る確率も当然大きくなるからだと思っている。  だから私が人間の頭脳は最高のコンピューターだと思う訳である。 とは言っても、人間の脳が全開していることは稀で、常にどこかの部分が閉じてしまっている事が多いみたいであるが、ランダムアクセスメモリーとしては最高のものだと思う。」

以前フランスで哲学をしていたと勉強していたという友人に、「人生ってものは、日常の単純な営みに喜びを見い出せなければ負けだよね」と言った処、その友人が、「それはかつてスピノザが言いました」と尤もらしく、もうそれは古いと言わんばかりに答えた事がある。 秀才は兎角知識だけは豊富であるが、筆者はそれを敢えて知識と呼ばずに情報と呼ぶ事にしている。 あくまでも自分で簡潔に括り出すというのが基本だと信じるからである。 その時、以前筆者が離婚したかどで家を追い出されて所沢に独りで暮していた時、父親に、「俺は閃きというものは、平坦路では出ないもので、がたがた道を歩いている時に出ると思っている」と言った処、父が、「それはかつてキルケゴールが言った」、「エジソンも同じ事を言ってた思う」と答えた事を思い出した。 人が無い頭を振り絞って悩んだ末にやっとの思いで括り出した答を、いとも簡単にそれは誰々が既に言いましたいってのけられるのは大したものだと思う。 そういう人間に限って、頭の中の情報を咀嚼して知識に迄高める事が出来ないのである。 以来筆者は、カントがどうのヘーゲルがどうのと言う類いには耳を傾けない様にしているのである。  この小冊子内容は自分が何が嫌で社会にミスフィットしているかを考え、必ず行き当たる問題点を括り出したものだが、自分が悩んだ末に括り出した二つの要素「自分で考える事」と「信じる事」がその後の個人が常に神と対峙しているヨーロッパの考察を通して図らずもイタリア・ルネサンス期の哲学であるネオ・プラトニズムと一致し、教育、国際性、目的と手段、本音と建前等の要素は悉く日本の特異体質と一致する事が判って来たのである。 結果的に長い年月を費やしてしまったが、悔いは無い。 定かでないが、コマーシャルに「足しもせず又引きもせず」というのと、「近道もせず又寄り道もせず」というのがあって、今でも気に入っているが、人生なかなかそう簡単には行かない様である。 これも自分探しの旅である以上やめるわけにも行かない。

自分で考えること・信ずること

「私がいつもと全く逆に一回全部白紙に戻してみた時、最後まで残ったのがこの二つのことである。  私は何よりも生きる目的が欲しかったのであり、納得の出来る理念が欲しかったのである。  ヨーロッパ旅行を通してカトリックである喜びを知り、日本人の海外での印象を通して湧いて来た疑問、つまり、日本人は国際性に欠けるのではないかという疑問、それはじょっとして信ずるということが欠けていて、個体として機能出来ないからではないかという疑問が生じたこと。そこから戦後の或いは明治維新後の外国文化の取り入れ方に対する疑問、ひいては教育に対する疑問とつぎつぎに常に私が行き詰ったところに一致したこと等、十年来抱えていた悩みが一挙に解決し掛けて来たのである。  そして何よりも嬉しかったのは、たまたま読んだ柳田國男の教育理論に関する本で、祖父も同じことを考えていたことを発見したことである。  常に私が突き当たるところと、祖父の教育理念が偶然一致したことで、私は今後この理念を自分の行動規範として生きたいと思うに至るのである。 悩み悩んだ末に、精神世界での指針である、「信ずること」と物質世界での指針である「自分で考えること」の二つの指針を同時に得られたことは、私にとって何にもまして嬉しかった。」

括るということ

「目的と手段を考えると、私は常に総論と各論という言葉を思い出す。私は常日頃から「科学」という事に非常に興味を持っていて、分科された学問を掘り下げている先生方を見ると、一体どこ迄掘り下げれば気が済むのだろうか、途中で一回地上に出て全体像を見た方がいいんじゃないかと思ったりする。まるで南ア連邦のダイアモンドの鉱山のようである。  そこで、じゃあ誰が最後の総括りをするのかというと誰も知らない訳で、間口だけは派手に拡げている割には情けない状況のようである。この「科学」ということ自体が目的と手段を取り違える元凶なのではないだろうか。結局生活に追われて、物を考えている暇なんか無い世のサラリーマンと一緒なんじゃなかろうか。でも人びとが知りたいのは目的であり、総論である。  何を考えていてもいつもここに到達してしまう。この括るという作業、私が「因数分解」という表現で表わしているものが大事であり、ロジックである。 この「因数分解」が「要素還元主義」である科学の目的と合致するなら、要素に還元して括るというのも科学の目的でもある筈で、公式に当てはまらないと放り出しておくというのは困りものである。」 「私が「因数分解」の重要性に気がついたのは何と三十歳の時、コンピューターのデータベースをいじくりまわしていてふと、「ロジックとは因数分解なのだ。」と思ってからである。この時初めて数学がロジックであることを知り、括ることの重要性を初めて知ったのである。これ以来この括るという事が物を考える時にしゅうかんづけられ非常に助かっている。人生の様々な出来事を共通項で括っていくと、何か人生の公式が編み出されるのじゃないかと今でも思っているが、この公式に当てはめるのも、因数分解の特徴みたいである。  人生の節目で、悩み事にぶち当たった時、何か公式があるなら知りたいと思ったことが何度もある。結局最終的に括り出したのは、「信ずること」と「自分でかんがえること」の二つだった。この二つのことから派生して様々なキーワードを得る事になったのだが、実際問題として、若い頃は他人の意見等には耳も傾けず、受け入れるなんて事は全然考えてもみたこともなかったのだから無理も無いが、もともと「自分で考え」なければ身に付かなかったのだから仕方が無い。まさに「我思う、故に我在り」である。」

退職したばかりの時に書き記したエッセイの冒頭にこんな事を書いているのを最近になって発見した。今では自分で書いた事すら覚えていない。 これは私が三十八歳の時の文章である。

退職して

「一月三十日付けで、十五年間勤めた東急百貨店を退職した。今思えば十五年もよく勤めたという感じだが、社会勉強と言う点ではこれ以上のものもない気もする。流通業界盛んなりし頃に入社して、物質文明の終焉と共に退社出来るこのタイミングは、まさに団塊の世代と言われている自分の人生にはぴったりのような気がする。」〈中略〉 「私が退職を決意して上司に申し出た理由の一つに「自分がもし経営者だったら、真先に非採算部門である自分を切るだろうから、辞めます。」というのがあった。 今、拡大再生産が望めないとして、採るべき手段は、規模の経営であり、活性化出来ない部署は、どんどん切り捨てて行かなければならない。」 今改めて読んでみると、まんざら自分も捨てたもんじゃないと思う。 未だリストラという言葉さえ聞かれない十二年以上も前に、真先にリストラを考えていたのだから進んでいた。只、首を切る対象が自分だったというだけの事である。

社会通念について

「今回の退職の一件のように、自分の考えを、数多の困難を乗り越えて、押し通した時、ふと気が付いてみると、世間体とか、見栄とかの社会通念によって、自分が如何に縛られているかが分かる。 物事を深く考える時、この社会通念と言うものが、如何に思考の邪魔になるかが分かる。 無意識の内に、いとも簡単に通り過ぎてしまい、全く違う次元で二つの事を考えている事に気付く事がある。 物事の軽重或いは優先順位を考える時、この社会通念と言う曲者が頭をもたげ、行く手を阻むケースが多い。」

同期

「同期のものが集まって、送別会を開いてくれた。宇和島からTも出てきてくれて嬉しかった。やはり仲間が一人辞めるとなると気になるのだろうが、こちらとしては、今更理由を話したところで仕方がないと思ってしまう。 皆この年代になると、多かれ少なかれ自分の人生を振り帰って、色々考えるのだろうが、人はそれぞれタイミングというものがあって、路線変更はままならない。人間誰しも、自分の人生には自身を持っている者は少なく、たまに同期に会って、他の奴も同じ事を確認して安心するところがあるみたいで、今回の様に、一人が急に仲間から外れることになると、内心穏やかでないらしい。  この土壇場に来ると、皆、本音で会社の事を話し合ったりするのだが、当方にとっては手遅れの感が否めず、少なからず当惑してしまう。 本来こんなことは、僕が辞める決心をする前に誰かに打ち明けて、皆で話し合ったりした方が良いのかも知れないが、実際問題として、同期というものはそんなに仲が良く無い。よく言うのだが、人間は、競争心とか攻撃心とか、厄介な感情を常に持ち合わせているので、他の人間が自分より良い思いをしていたりすると、余り気持が良く無いものだ。 結局、皆が僕に白状させたいのは、上司と喧嘩したからかとか、昇格させてもらえないからだとか、会社に対する不満があって辞めるとか、他にはもっと良い条件の職を見付けたとか、親の遺産で店でもやろうとしているだとか、はっきりした、分りり易い理由で自分たちを納得させるものが欲しいみたいである。  前回、IとSJに呼び出された時は、動機が見え見えで、こちらも半ば諦めていて、少しの間犠牲になってモルモットを演じてやった積もりになっていたが、今回は人数も多かったし、何も考えていない奴だって居たと思うし、本音が出て来る迄に時間が掛かってしまったけど、結局の処皆が気にしているのは、僕の行く末よりも、自分の行く末なんだと言うことである。  でもここで考えなくてはいけないのは、僕は既に会社の人間じゃないんだから、呼び出して血祭りにあげる事自体甘ったれているとも言えるという事である。」

当時十六人居た同期で未だ会社に残っているのは今では数える程である。 つい二、三年前筆者が同期の一人と中国食在の輸入会社を起こした際、今度はこの一緒に会社を始めたNKの送別会代りに突然同期会が召集された。 嫌な思い出がある筆者は当時その新しい会社の社長だったNKに、「どうせ吊るし上げられに行くのだから、自分は生きたくない」、「余りしつこくされたら、自分はは切れるかも知れない、それでも良いなら行っても良い」と事前に了解を取っておいた。  案の定、澁谷の窓も無い、カラオケ居酒屋みたいな所で、二人は嫌味たらたらの質問攻めに会い、その中でも余りに失礼な二人を筆者は殴ってしまう結果に終わったのである。 もう二度と同期会にも呼ばれないだろう。

合理化と手抜き

「何処の会社にも、まだ世の中がこんなに機械化されていなかった時代から勤めている人間が何人も居ると思う。こういう人達は、自分の子供にはファミコンを買ってやっても、心情的には「今の若い者は…。」の口であり、合理化に協力的な態度は見せない。その人達には合理化はどうしても手抜きに見えてしまうらしい。さすがに宴会の席で軍歌を歌う人が居なくなってきた。これはいい傾向だと思うが、最近の新素材にせよコンピューターにせよ大部分が米国のNASAで開発されていると聞く。 軍備拡張も反対、事務合理化も反対では、人間進歩しないと思うがいかがだろう。」

最後の一行はまるで筆者が戦争を肯定している様にとられて誤解を招いてしまったが筆者は決して軍備拡張に賛成は出来ない。

本音と建前について

「僕が会社に居る時に一番嫌だったのは、上役で、建て前だけで押してくるやつが居ることだった。中には本音と建て前をうまく使い分けて、いつもは建て前で仕事を進めて、うまく下が働かなくなると、ちょろっと本音を見せて、「俺はお前の気持もちゃんと分っているぞ。」ということをうまく伝える人も居ないこともなかったが、大部分は建て前を振りかざして下をいじめ、責任を逃れようとする人間ばかりだった。  大体会社員は、上から下迄サラリーマンで実体の無い会社に、忠誠を誓った積もりになっている人間の集まりだと思うけど、中に馬鹿がいると、暗黙のうちに決められたルールを守らないで本気になってしまうから秩序が乱れてしまう。 これはまるで、子供が遊んでいてつい興奮して本気になってしまい、喧嘩になってしまうあれと似ている。  これから益々世の中不況になって、皆余裕がなくなり、手前の頭の蠅を追うのが精一杯になって来たら、暗黙の了解なんてものはなくなって、いちいち確認しあいながら物事を進めないと、とんでもないことになり兼ねない。 責任のなすりつけ合いが多くなって来て、人の口から出るのは言い訳だけになんてことになったら大変だと思うけど、ある程度価値観の多様化を認め個人を尊重したら、もっと分り合えるし、お互いに干渉せずゲームを楽しめるではないかと思う。  景気のいい時には、全て順調に推移して、あたかも自分の実力がアップしたような錯覚 にとらわれて、物事が単純計算的に動くように思えるけど、不況になると、全てうまく行かなくなって何でも悪い事は他人のせいにする、これじゃ元を正せば結局景気のいい時だって、うまく行ってた訳じゃないかも知れないじゃないか。とどのつまりサラリーマンは自分の事だけしか頭にないということで、下手に気取って社会の為だとか、会社の為だと言わなければまだ可愛げがあるのに。  感心することは、あの実体のない、図体ばかりおおきくなった企業がよくばらばらにならないかと言うことで、如何にも秩序正しく一つの方向に向って進んでいるように見えることである。  会社の最小構成単位である個人は、おのおの自分のことだけを考えて暮らしていて、お互いに牽制しあいながら如何にも仲良さそうに装って毎日が過ぎていくのを待つ。実にこのシステムはうまく出来ていて、人間の本能的な攻撃心とか、競争心とかを巧みに利用している。  従って、本来企業そのものとしては、従業員が本音を見つめてお互いに牽制し合うのを止めてしまったら、仕事の能率が落ちてしまうので、本音で考えることは余り歓迎できない事だと思うが、不況になって拡大再生産が望めず、出世だとか昇格だとかいう身近な夢を社員が持てなくなってしまうと、いずれにせよこの競争システムは壊れてしまうのだから、もっと単純な誰でもいつでも参加出来るような簡単なルールのゲームを考えないと、そのうち内部固めばかりにエネルギーを使って、肝心の外に対する力が失われることにもなり兼ねない。  経営者は口を揃えて、「不況の時こそ、猛烈社員にならなくてはいけない」と言う。 これは正しいと思うが、猛烈社員になって成績が上がれば良いが、今の時代どんなに頑張ってみたところで、以前のように目に見える効果は期待できない。  管理職が馬鹿で、下の社員の努力を理解できず、建て前だけで押しまくったら、本来うまく行くものも駄目にしてしまう事もある。  大きな歯車が動いていない時に、小さな歯車に一生懸命油をさしても、空回りするだけで、そのうち歯車が欠けてしまうのが関の山である。  奴隷を働かせる時だって同じである。いくら働き者の奴隷でも、食事も休みも与えずにただ鞭で打ち続けたら死んでしまうと言うことである。」

「合理化と手抜き」及び「本音と建て前について」は気にいっていたので、先に御紹介させて頂いた小冊子にも後に載せる事にした。特に後者は今読んでも、当時自分がどう考えていたかが判って実に面白い。  団塊の世代も今は五十を過ぎてリストラの波をもろに被る立場になっている。 かの五島昇会長亡き後の東急百貨店は、日本橋店の閉店等良いニュースを聞いた試しが無い。筆者が二年以上居たハワイ白木屋も後少しで撤退すると聞く。 風の頼りに、十五年勤めた東急百貨店の事や同期の人間が辞めた話を聞く度に、この文章を懐かしく読み返すのである。

【HOME PAGE】 inserted by FC2 system