学識ある無知について

最後の本

以下は、何時だったか定かではないが、朝日新聞に掲載された、テーブ・ルトークというコラムで、東大名誉教授の渡辺正雄氏をとりあげ、彼の自伝的研究史である、『科学史事始』を紹介した一部であるが、この記事が発表された時私は、これこそ自分の求めていた科学者の正直な意見だと思ったのだが、その時点では既に追究を諦めていたので、この本が小生の日本研究の最後の本になってしまった。

「科学とは、西洋の思想・文化、具体的にはキリスト教的世界観が生み出したものです。この世界を神の被造物と見て、自然を神のみわざを読み取ることができる『第二の聖書』と信じ、探究を積み重ねることで科学が誕生し、発展してきた。自然に没入し、自然と一つになろうとする日本の伝統からは科学は生まれ得なかったのです」

「その日本は明治以後、西洋からの科学の導入にあたり、技術や実用面だけを重視し、科学を生んだ精神や文化への理解をなおざりにした。切り花的に輸入しただけで、科学と人間、伝統文化との関係に対する歴史的・総合的観点が欠けていた」

私は以前から常々この事に対する疑問を生物学者である父親にぶつけて来たのであるが、父は只一言「日本にだって科学はある」と言ったのみで何等建設的な意見は得られなかったのである。

私は、「世間」について書かれた、一橋大の阿部謹也先生が、「『世間』を変えるのは不可能である」と最近の御著書の中でお書きになられたので、失意にあった同じ時に、神道の研究者であるべき大民俗学者が仏教の無常論を唱えたのでびっくりしたのであるが、何故退官或いは定年間近になると先生方が無常論を唱え始めるのか不思議でならなかった時があって、現役の時はそんな質問をしようものなら「君はデカダンだ」と一喝されてしまうのに何故自分もそう思うと「本音」を言わないで、「建て前」を押し通そうとするのか不思議でならなかったのである。 日本人は「世間」を近代的社会システムを取り入れた時に残し、バッファーとして使用し続けて今に至るのである。いくら小泉氏が「聖域なき構造改革」と叫んでも、派閥と言う世間の壁は厚く、そう簡単には越えられないのである。

私の持論は日本の「世間」と「社会」のずれは全てここに発し、この「世間」と「社会」のずれこそが日本の最大のポイントであり、所謂「世間」=「本音」、「社会」=「建前」という「本音」と「建前」のずれを取り払わない事には、日本のアイデンティティーは取り戻せないという物なのであるが、「近代文明を享受する為には近代文明の淵源を知るべきである」と言っただけで、一神教国の回者呼ばわりされてしまう程反発は強いのである。 確かに宗教学者が言う様に、日本は多神教の為器用に異教の文化を取り入れ自分の物にしてここ迄発展して来た事は事実である。 私はカトリック教徒であるが、キリスト教は「始めに言葉ありき」と言う様に全てロジックから構成されていると信じている。つまり ALL OR NONE でなくて ALL AND ONE なのであり、あくまでも「私は在るという者である」という事なのである。論と個こそが基本なのである。 つまり、誰にも判らないから宗教なんであって、逆から言えば、判っている部分のみが科学なのである。

近代文明はイタリアルネサンスを契機に、ヨーロッパから拡がったものであるが、小生がルネサンス研究をしていた頃、日本人の大部分はルネサンスがキリスト教の何かと勘違いして、それが、ギリシャ哲学とキリスト教の融合であり、でなければあの有名なボッティッチェリのビーナスの誕生等生まれるべくも無い事を知っている人の数は実に少ない事を知ったのである。ルネサンスの基本であるネオ・プラトニズムはフリーメイソンとして受け継がれ今日に至っているが、フランス革命、アメリカ建国に大きく貢献し、オーストラリアに於てもあのコンパスと定規のマークは良く目に付く。

かくして私はオーストラリアに来てしまい、生物学者の親父も生物学的に動物から植物に変りつつあり、その生命も終焉を迎えようとしている。つまり、何等話し合いも無く、何等解決する事もなく、実に空しいものである。両親は未だに別々に家族に迷惑を掛け続け、片や、元気で寝たきりの亭主を病院に預けたまま見舞いにも行かず、80過ぎたのにも拘わらず、貸し画廊の入り口が一目につき難いと、持病の改築癖が頭をもたげ、片や、病院のベッドに縛り付けられたまま、看病する嫁にたいして、自分が自宅で看病されていた時に散々ぱら迷惑を掛けたのも棚に上げて、「彼方が楽をする為に自分がここに居続けるのはおかしい」と悪態を付く有り様。こういった両親を観ていると、人間が如何に愚かで、儚い生き物かが判る様な気がして来て、研究心も失せるというものである。つまり、私には世界を語る資格等無いのである。

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