自伝

総括

思えば私、の三十代は逃走の歴史であり、四十代は闘争の歴史であった。   両親との確執から逃げ、気に入らない物を全て排除し、放蕩三昧に明け暮れ、混沌とした俗の中に身を投じ、真の自分を見つめる事から逃避して、その度に経済活動に逃げ込み、再び傷付いて、都会の喧噪の中に逃げ込む。 それをいつ迄も繰り返し、私の行動は、恰も親の注意を引こうとする子供の様に、親から見離されている寂しさを、常に他の物でカバーしようと、露悪的になり、何かに付けては周囲の人間に逆らい、自分のプライドを満たす為に、威だけだかになり、自分が愛情に飢えている事を自覚しつつも、他人にたいする依存心が中々抜けず、人の愛し方が分らずに悩む日々が続いてしまった。  自分自身で造り出している、自分の境遇に満足出来ず、他人に対する思いやりは欠如し、人を傷付けまくって前進しようとする自分自身に対して、様々な人との出会いを通して、自分に降り注ぐ上からのメッセージにも気付かず、只傍若無人に振る舞い、他人に求めるばかりで、常に自分を押し通そうとして来た自分。 自分の内面に拡がった宇宙にも気付かず、外に向って自己を主張しようとして、摩擦を生じさせ、それでも自分を曲げる事を嫌うどうしようも無いエゴ。 己の魂と身体の歩調が合わずに、遊戯、遊山の境地を彷徨う己の魂、それに着いて行けない、惨めな肉体を呪う自分がそこにはいつも居た。  外にエゴを貫こうとする度に、これでもかこれでもかと押し寄せて来る試練に傷付き、それでもそれを逆手に取って迄も尚も逆らい続け、周囲に誰も居なくなってから初めてそれに気付き、人生そのものが修行である事を覚った。 それでも尚自分に、聖俗出入自在を望み、心身一如を欲する自分の魂に命じられ、拡がり過ぎてしまった自分の宇宙に戸惑い、追い詰められ、行き場を失い、途方に暮れて、自己に沈潜し、寂しさのあまりに、祖父の霊に救いを求め、そこで与えられた試練に再び逃げまどう己のぶざまな肉体を見詰め直し、幼稚園に行かなかった私は、本来幼稚園で身に着けておくべきものを、人生も半ば過ぎてから学んだのである。

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