柳田家が如何に狂っているか、これは俺の遺言みたいなものである。

驚愕の事実発覚、長兄が成城バブルに積極的に加担してたとは!

このページは書きかけであり、思いつくたびに書き足しているので、思い出したら開いてみて欲しい、内容に対する苦情は掲示板で受け付けるので記名して書き込んで貰いたい、以前のような匿名の嫌がらせはIPアドレスを即警視庁に連絡するので承知おき頂きたい。

返す返すも口惜しいのは、母親一人の異常性の為に兄弟が全てばらばらにされたのみならず、全員頭がおかしくなってしまった事である。

新事実発見(2023年1月24日)関係者必読

最近何故か日本の事が気になって、相続が始まったらこの兄弟の状況で参るななんて考えていて、女房にも相続放棄していいかなんて訊いたりして、母親の葬式にも出たくないななんて考えていたら、
ふと以前から気に掛かっていた白馬綜合開発が分譲したみそらの別荘地の事を思い出した、
どう言うわけか10年前の親父が死んだ時の相続リストにも記載されていない、
だめもとで会社のHPにアクセスしてみると白馬綜合開発への直接の問い合わせのページがあるではないか、
早速問い合わせを入れると昼過ぎに担当の女性が返事を呉れた、
ご丁寧にも登記簿写しまで添付してくれた、
なななんと、所有権は母親以下長男兄嫁、姪っ子二人に二回に分けて贈与されているではないか、大体何かおかしいなと思うとこれだよ、やっと謎が解けた、祖母が文筆登記した孫四人の土地の長兄の部分だけが、所有権移転していた原因が、俺が母親に嫁の分際で先祖代々の土地を売るとはけしからんと詰め寄った時の長兄の態度、別荘地贈与の賄賂で結局買収されていたってわけだ。

ここまで馬鹿にされて、俺が協力すると思ったら大間違いも甚だしい、舐めるのもいい加減にしろってものだよ、

これは成城の地上げならぬ地下げバブルの発端が、直系の跡取りが欲にかまけて母親の暴走を許したからに他ならす、それでも今だに「誰も俺の事を本家と思っちゃいない」と嘆きながら、他の兄弟に自分が有利に相続できるように、相続が始まりもしないのに相続放棄するという契約にサインしろと言っているのである、つまり彼には跡取りの資格すら無いと言っても過言ではない。

退廃にも書いたが

「何を隠そうこの僕より6歳上の兄こそ多感な時期にお袋の浮気現場に踏み込んでしまい、以来親父に自閉症と蔑まれる位のトラウマを背負ってしまった人間である。」

今回この事がいみじくも証明されてしまった事は僕が家族に見切りを付ける大きな引き金になった事は間違いない。

今までは僕も50の時纏めた自伝の中で、

「親との確執」

「通常自伝と言う物は、両親との関係のみならず、兄弟との関係迄も記さなくてはいけない処なのだが、これは私自身の「自分学」であり、兄弟との関係は私にとっては、副次的なものであり、両親との関係を抜きにしては考えられないものであるので、ストーリーの中に度々登場する兄や姉の個人的な性格を論評する積りは私には一切無いので、敢えてそれはしない。 私は基本的に自分より若い人間の行く末は、前の世代の人間の責任の下に考えられるべきであり、成人して独立する迄とか、結婚して独立する迄の慣習的或いは制度的なものではないと信じ、いやしくも自分の世代の責任を若い世代に押し付ける事は断じて避けるべきものと信じるものである。 親より先に子供が生まれる事等有り得ないからである。」

と書いていたのだが、段々そうも言ってられなくなって来た、僕も身も心も磨り減らして家族の恥を晒したくはないのだが、日本人の特異体質の一つである、「日本人は年下から物を学び取ると言う事が出来ない」限り末っ子の僕には勝ち目が無いので、反論反感を蒙る事を覚悟で書かせて貰う。

今回も一時帰国した時長兄が「口では何を言っても良いが、書いちゃまずい」と今回の大津の苛めと一緒の「お前さえ我慢すれば、全て丸く収まる」と言う事勿れ収拾方を採ろうとしたのは承服出来ない。

兄嫁が電話で長兄は母に向かって「貴女のしている事は柳田國男がもっとも嫌いそうな事だ」と言ったと言って居たが、姉の事を容認するなら同じ事じゃないかと思う、姉は良くて母がいけないと言う根拠が欲しいものである。

そりゃ僕が黙ってれば何事もなく過ぎ去るでしょう、僕は何度と無く自分も寛大になって妥協を覚えた方が良いとか、forgivenessってのが必要だとか自分に言い聞かせようとした事か、でも20年来日本の特異体質を追求して来た人間にとって、外部の人間に厳しく接しているのにも関わらず、身内の事は垂れ流し状態にする訳にも行かんのだ。

思えばお袋の不正、不誠実を追求したばかりに、彼女の兵隊さん達すなわち我が兄弟姉妹に酷い迫害を受けたものである、今回発表するに至ったのは最後の砦である長兄が既に機能していない事に気がついたからである。

ほとほと愛想が尽きる2012/06/26

今回の一時帰国は3年前の嫌な思い出から、成城には伝えないで置こうと思ったが、一応本家の兄に挨拶しなくちゃいけないだろうと言う事で義姉に連絡した。

僕としては姉が『洋画家南薫造 交友関係の研究』を自費出版してから、遂に柳田家の管轄である柳田國男関係にも進出を企て、祖父の名を語って頻繁に社交する事が柳田の流儀に反する事だけを伝えておきたかったのだ。

僕は姉には再三に亘り、母親を批判する姉に「ミイラ取りがミイラにならないように」と忠告していたのであり、傍から見ているとやっている事は娘の育て方に至るまで母親そっくりであると言っていた、僕が東北に人を集めるのは殺人行為であると言う放射能汚染の東北のシンポジウムに出るついでに母親の遠野をスパイして来たいとか言うのを、母親の後釜を狙ってるならやってみたらと諌めたのが気に入らなかったのだろう、最後のわけの判らないメールには返答に困って放置していたが、僕らが東京に行くとの情報を得た姉は、ひとしきり言い訳を述べた後お愛想に「お会いできるのを楽しみにしています」とメールをよこした。
僕は前回のメールに何故返事をしなかったのか、南薫造の本で無理やりに柳田國男と結びつけようとした上に、國男の生年没年を校正ミスして、それを簡単に「没年が間違っていたのね」と片付けようとした姉に、あれは致命的なミスであり、自分が柳田國男の孫であると言う悲痛な叫びでしかないと切り捨てた返事を送ったのでひょっとして顔を出さないのではないかと思っていた。

それを長兄に告げると、「いや来るでしょう」と即答したのでこれは既に構えているなと感じた、要するに嵌められたって事よ。
その後姉は最初から案の定喧嘩モードで登場、鼻息も荒く表面的な挨拶をかわし、

「病気の具合は如何?」

そこで兄が口を挟み、

「病気の事はひとしきり喋ってましたよ」

以前血液癌の宣告をうけた直後一時帰国して病気の報告をした時、
「僕はお母さんのあの病気も気力で治してしまうって態度は尊敬してるんだよね」と言ったのを思い出す。

何が嫌いかと言うとまるで僕の血液癌が仮病とでも言わんばかりに扱われた事である、自分の部下を過労死させて左遷されたのも頷けると言うものである。

最初に義姉に訊かれたから喋った迄でもって、訊かれなきゃ病気の事など自分から喋る筈もない。
僕はこの長兄の一言でこの二人はつるんでいると直感した。
姉は我々が件の本の件を口にしないので、段々苛つきが顔に出てきて蒼白になって行くのが見えた。
僕が何気なく「鏡に映った自分の顔が江古田のお婆に似ている時がある」と言うと、憎憎しげに「そうよね貴方が一番似てるかもね」と吐き捨てるように言ったのだ。

長兄が70になったらホームページを開きたいので相談に乗って欲しいと僕に話していた時たまたま、「お前のホームページは素晴らしい」的な事を行った時に、姉は爆発した、

「私は読まないけどね」得意の捨て台詞である、

「読んでないって仰いますけど、漱石の会の丹治さんとかがツイッターやってるし、変な事書かないでねと言ったのはどこのどなたですか?」

僕が怒ると、又あの得意な怯えた表情をしてみせ、

「あっ、又やっちゃったあたしはここには居られない、帰らなくちゃ」

と帰る様子をする、結局俺を怒らすのが目的だから、一応の目的は達せたのだろう、なんでこのあまがカトリックを気取っているのだ、

「だって、あたしツイッターやってないもの」

「でも丹治さんはネットを隅々までチェックする人だから、変な事を書くのやめてと言ったのはあんたでしょうが」

「そんな前の件を持ち出して」

「そんな訳の判らない事を言うと、清ちゃんにメールのコピー送るぜ」

「どうぞお好きなようになんでも送りなさいよ」

如何にも長兄とは事前に話はつけてあると言うような得意なそぶりだった。

「うるせい、このあま」

姉は去った。

この姉ってのが食わせ物、前も書いたが他人の褌で相撲を取るところから、娘の育て方に至るまで母親そっくり、
娘が絵を描きたいと言えば、バイオリンをやらせ、イタリア語がやりたいと言えば英語に専念しろと言う、
イギリス人のボーイフレンドとNYCで同棲すれば、親から挨拶が無いと責め立て、挙句の果ては挨拶出来ないのは上流階級じゃないからだとぬかす。
上流階級だったら自分の娘なんて相手にもされないし、たとえ相手にされたとしても家政婦扱いだろうに。
ついに姪っ子は別れて日本人と結婚する羽目になった。
自分がインディアナ大学に留学して居た時、インド人に東洋の真珠とおだてられそいつと恋に落ち、母親がそのインド人に長々と手紙を書いて諦めさせたのとそっくりじゃないか。

一度姉から頼まれてその姪っ子をイタリアに連れて行ってやったは良いのだが、道中最初から最後まで絡まれて難儀した事があった。
内容は兎も角としても、帰ってから姉にその事を言うと、

「あたしはあんたが何を言っても、自分の娘の言う事を信じるわよ」と言い、挙句の果ては、
「何もしてない叔父さんだから馬鹿にしたんでしょ」と言った。

この姉に僕がたまたま車を二台持ってる事があって、一台オースチンミニを貸していた事があったが、車検の時になると返して来る、しまいには間違ったガソリンを入れたと見えてバルブが焼きついてエンジンを下ろす羽目になってしまった、経費は皆僕におっかぶせた。

母から伝わって来たのは「借りてやってるのよ」だそうだ、

その頃千葉敦子がNYCで乳癌と戦うなんて本を書いて、しきりに周囲に世話になるのは或る日恩返しが出来る為に世話になってやってるんだみたいな、ヒンズーのお布施の感覚を生半可に聞きかじって使っていた時と重なる。

そして又本題に戻るが、

怒る俺に長兄得意の「まぁまぁ」作戦、俺の手に自分の手を添えて「君は綺麗な奥さん持ってるんだし」、関係ないだろうが、「ここは何とか自分に免じて収めて欲しい」と交通公社の添乗員宜しく、なんとか俺を抑えて事を収拾しようとする、7時半位になったらお開きにしたいのかしきりに「明日の朝ジェニーンを皇居の周りを走らせて、君だけここにいらっしゃいよ」と言っている、何か女房がいたらまずい事があるのかい、大体こっちはしらふだってのに、会談中発泡酒飲み続けて失礼極まりない、これでまともなお願いが出来るとでも思ってるのか。

結局今から思えば俺が死んだ後ジェニーンに権利を主張しないように俺を説得しようと思っていたのじゃないか邪推してしまう程怪しかった。

後で判ったが姉は長兄にとってはお客様、相続を諦めて下さった大事なお客様を批判する事なんて出来ない、何のことは無い僕に揉み手をしてにじり寄っていたのも相続を放棄させようと思ったからだけだ、

「君は分家なんだし、特別に考えている」などと配慮している態度を取っていたが、前回長兄が「相続が確定した後に財産の移転はまかりならない」と激怒したマンション事件の後千万円補填して呉れた後に、「よんちゃんの住む所を買うなんて言ってたのよ」と義姉から伝わって来たが、僕が渡豪してしまったので立ち消えになったじゃないか、結局日本に資産があっても子供の居ない俺らにはオーストラリアに持って来るわけにも行かないし、買ってくれるならオーストラリアに買って欲しいものである。
大体、父の相続が決まった後母親と俺が共有名義で物件を買おうとする事にまで激怒するものなのか。
今回もその場で僕が「僕は子孫がいないから何もいらないんだ」と立場を表明した時も、ジェニーンの方を向きあごをしゃくって「が、いるじゃないか」と言ったのも皆得体の知れない白人のジェニーンが僕が死んだ後一族を連れて権利を主張してくれる恐れへの危惧ではないのかと邪推してしまう程である、邪推ではなく図星なのかも知れないと最近ジェニーンと話して思った。

まぁ今回の事で長兄の真の姿が浮き彫りになった、
俺が離婚して家を追われ小手指にマンションを購入した時だって、お袋に繋ぎ資金300万借りた事にさえ烈火のごとく怒って反対した長兄の事である、俺はお袋に5万利子さえつけて305万即返金したと言うのにだ。

僕は最初から長兄の事は言いたい事も言わずに応援も表明していた、柳田家シドニー分家として本家を支える気持ちは打算的なものでは一つもない。
今回だって義姉には電話でサポートを表明していたし、それだって今に始まった事でもない。
その為に二時間も早く長兄との時間を設定して貰った位だったのだ。
僕が「僕の取り分から長兄のお小遣い位出しても良いと思うくらい心配している」って言ったのも損得抜きに心配していたからに他ならない。
僕が唯一つ問題にしたのは、僕の二十年来の希望である「柳田國男で社交しないで欲しい」と言う願いが『洋画家南薫造 交友関係の研究』で悉く裏切られた事である。

その答えはこうだ、「柳田國男のシンポジウム等色々イベントがあった」、如何にも自分の名代で行かせた風に取れるような発言だが、姉が長兄の許可を事前に取ってないのは姉からのメールからも明白である。「そういった人間も必要だからな」、それじゃ母親が今やってる事だって同じではないか、普段母親に「貴女のやってる事は柳田國男が一番嫌いそうな事だよ」って発言はどうなったんだ、矛盾してるではないか。
姉の「私は読んでないけどね」の発言をいびりだと言う僕に兄は、「あれ位でいびられたと思うのは考えすぎだよ」と言い、

「君はお爺さんと一緒で、縦横のインデックスが繋がってないと気がすまないのよ」と、さも僕の文章を読んでいる事をほのめかすように言った。

「為ちゃんともそっくりだ、僕にはそういった所が無いから救われた」とも言った。

「為ちゃんはそれ程賢くはない」

「そうかい」

自分にはそういったところが無い割りに、神経質で萎縮しちまってるのはどういう訳だ。

自分のまあまあ作戦が功を奏しなかったので兄は興奮し、僕の「じゃあ、あの姉の態度を容認するのですね」と言った言葉に切れた、

「俺だってこの家の事はうんざりしてるんだよ」

立ち上がって威嚇するが、もともとのちんちくりんが痩せたのでみっともない、

「大体本家だったら姉のあの態度をたしなめる事位出来ないのか」

「誰も俺の事を本家なんかと思っちゃいない」

「俺は思ってるぜ」

ただ一人の分家を相手にこんな事言って、本家ってのは分家に対してある言葉なんじゃないのか。

僕が「日本に帰る度にこんなにいびられて迄相続放棄に判付くのか」と言うと、「これくらいでいびられたと思うのは敏感すぎる」と言い、義姉に向かって「芳秋が判付かないって言ってるぞ」と泣き付き、義姉に「よんちゃんは、何しても文句は言わないと言って呉れてるじゃないの」とたしなめられる始末みっともない。

僕は父の生きてる間中一貫して「この土地なんて残す必要は無い」と言い続けて来た、最初の相続で僕が目くら判を付いたのも、母の乱費癖では何も残らないと踏んだからに相違ない。

だからこそ今までだって長兄の身勝手な言い分にも目をつぶって支持を表明して来たんじゃないか。

それを知ってか知らでか、次兄に「今頃になってのこのこ戻って来やがって」と言われながら、自分だったら母とも上手くやれると、それこそのこのこ戻ったのは自分ではないのか。
それが証拠に最初の相続の後だって「こんなに自分に多く相続させて貰って申し訳ない」とか言って、皆に感謝の意を表明していたのは何処の誰だ。

結局これは長兄は母親の甘い言葉に乗せられて、将来自分が相続すべき部分への名義変更をして、謂わば密約を交わしていたとも言えるのだ。
その後米国に居た姉、早稲田に居た次兄を説得して判子を付かせたまでは良かったのだが、末っ子の僕は判子を付かなかったのだよ。
だから最初の相続の時、あんなけなげな言葉を吐いたのじゃあないのかい?
大体銀行から借金してマンションを建設するって事はそこの上がり、つまり家賃から返済していく事が前提なんでしょ、
それをその建物を相続した上に連帯保証までして、自分の金で借金を一億5千万返済したってのもおかしいでしょうが。

話がマンションのテナントが入らないと言う件になり、結局建築確認が取れていない為に、今流行りの保育園には都から補助金が出る為に建築確認が無いと貸し出せないと言う事が判ったと言う話題になった。

あれが違法建築である事は僕が会社をやめて不動産屋をしてた頃から話題になっていた、母が屋上の貯水タンクの見場が悪いと勝手に地下室を掘ってそこに設置した為に建築確認が取れなくなったと確か当時も話題になった筈である。

母が宅建主任を持っていた三井農林の担当者と秘密裏に不動産管理会社を設立しようとしてた時だって、三井農林の重役にこれは双方代理であり背信行為だと言って、その担当者が俺に飛び掛って来ようとした位である。

僕が「あそこが違法建築なのは僕も知っていた、僕は建築家の藤井さんにその件を言ったら彼がむっとして、『違法建築じゃない』と言ってたぜ」と言うと、

「教えて呉れなかったじゃないですか」と長兄が言った。

大体その頃は皆で俺を悪人にしたて上げて追い出しを図っていたじゃないか。
僕が成城に見切りを付け、建てて貰った家の家賃の半額を貰うと言う約束で豪徳寺に引越し、それでも家賃が高すぎると今度は大蔵五丁目に引越しをさせられ、引っ越すたびにカーテンを替えなくちゃならないで出費がかさむ、それをある時長兄にいったら「カーテンなんか自分で払うのが当たり前だろうと」怒鳴った、自分は自分で家賃払った事が一体あるのかよ。

兄弟が自分なら母親と上手くやれると次々と乗り込んで来たのは僕が成城を撤退した後である、

「お父様が生きてる内は絶対にこの林は切らない」とお袋が断言していた土地に養子に出た次兄があの三井農林を使って地下室付きの家を建てたのだ、その頃母は乱費癖で資金減になったからか、養子に出た次兄に土地を売って金を取ろうとしていたらしい、結局は踏み倒されたらしいが、実の息子に土地を売ろうとする方も売ろうとする方である。

大体成城に家を建てる事が決まって、次兄は代田の姉夫婦のところに挨拶に行ったらしい、その時に俺と母親の関係を「畜生道じゃないのか」と言ったらしい、その時姉はこれは自分が母親と出来ていたので弟もそうじゃないかと嫉妬したに違いないと思ったと言っていた、その時、弟に勝ったと明言したらしい。

成城は昔古戦場だった為に地下を掘ると必ず主人が死んだりとたたりが起こると言い伝えられて来た、それをよりによって民間伝承の本家で続けざまに地下を掘ればそりゃ祟るわなと言う感じである。

今回も長兄が「お前が柳田國男の生まれ代わりならなんとかしろ」みたいな事をわめいていたが、柳田國男の名誉こそ守るが下らない欲の権化達まで守る積もりは毛頭ない。

柳田國男が養子先の金の事ばかり心配する義母に「そんなに心配なら壷に入れて床下に穴を掘って埋めておきなさい」と言ったのは有名な話ではないか。

柳田國男の事を何も判っていない、ましてや生まれ変わりにこの態度を取ったら救いようも無い。

僕が思い余って、「大体最初に文筆登記されていた土地の等価交換に判子ついたのがいけないんじゃないか」、「僕があの縁側で、僕が判子つかなけりゃ土地は売れないのですよと言ったじゃないか」と言うと、兄と義姉二人が口を揃えて、何年の何月何日だ、とまるで子供のように言い出した、今でも覚えているが、その時「なんだそんな事も決断出来ないのか」と兄に迫ると、「俺は人一倍気が小さくて何も出来ないんだよ」と言ったのである。

今回の新事実発見で、俺がその時言った「嫁の分際で先祖代々の土地を売るとはけしからん」と言ってお袋に詰め寄ったのが、いつのまにか長兄が言った事になっていた謎も解けた、買収されていた兄が如何にも反対していたみたいな芝居打ったってわけだよ、あほらしい。

「俺が38の時だと思う」

「1986年だ」

「大体あの縁側で話しただろう」

「どの縁側?」

「遠野に移築する前の家の縁側だよ」

しょうがないので税理士から電話で印鑑証明を騙し取られそうになり、預けていた実印を忍び込んで引き上げたから事件が発覚した事まで説明した。

まるでリンチである、長兄は得意の日記を奥の部屋から持ち出して来て、これに重要な事は書いてあると言う、

1986年のを取り出し、「お前が調べろ」と言う、何で俺が調べなきゃならない、

酔っ払っていると指摘すれば、「こんなに日記まで取り出して来れると思うか」と言う有様。 まるで生前の父親の醜態そのものだった。 その内少し思い出したのか、 「俺の持分はこっちに飛んでいたんだ」

これなんかハワイで捕まった勝新太郎が知らない間にパンツに葉っぱがって言う程度の言い訳だろ、やっぱハワイ仲間だから阿保さ加減も似てるのかもね、判もつかないで所有権が勝手に移動する訳もない、

これだっておかしいよな、二度に分けて白馬の土地贈与して貰っていて、自分だって文筆登記の部分の名義交換に判子付いてるんだろ、

僕がM子と付き合いだした時、「俺はM子があのアパートに引っ越して来た日を克明に覚えている」と言って僕を苛めた人間が、一番重要な事を覚えていない筈もない。

僕が「そんなに大変だったら処分して楽になって長生きした方が余程良い」と言えば、
「じゃあお前が売れと言ったから売るんだぞ」
「お前の責任だぞ」

もうここまで行くと言語道断、國男流に言えばリディキュールである。

その時同時にビルを区分所有出来るようにして売ったらどうなんだと提案すると、長兄が「あっちは大丈夫なんだよ」と言ったのに戸惑ったが、結局ビルは自分が相続したもので、自分が管理してるから大丈夫だという意味だったらしい事が後で判って来た、結局ビルを担保に借金して建てた物件を居抜きで相続して自分の収入で一億五千万借金を返済したから一億五千万で買ったも同じと言う論理は何回も言うが成り立たない。

大体、欲の皮の突っ張った長兄は、民俗学研究所のあった角地の方が余程重要であるという認識が欠如してる事を露呈しまったのだ。

「それでいいんだな」

「それでって、言わなきゃわからないだろうが」

「言わない自由だってあるんだ」

最後に長兄は致命的な言葉を吐いた、

「お前の取り分なんて関係ない」

「何の為にこんなにご馳走用意したと思っているんだ」

「だからちゃんとお土産用意しただろうが」
この何品にも及ぶ義姉のご馳走が相続放棄に判を付かせる賄賂だったとは知らなかった。
結局は自分の土地を守りたいだけだろうが。
「自分が死ぬまではこの土地を保持したい」と言う大義名分の為に、「自分は贅沢は一切しないから」、、、、、「だからこの角地の相続を放棄する書面に判を付け」って論理はなりたたないだろう。

大体相続放棄なんて相続が始まらなくちゃ出来ない、その前に書類に幾ら判子をついても無駄である。

今から思えば完全に仕組まれていたって感じだな、姉貴の登場にしろ弟をよってたかって抑えようとする悪巧みだろう、あのニコニコ顔だって暴力バーのホステスが必要以上にニコニコするのに似ている、料理にしろそうだろ、韓国バーで頼みもしないフルーツが一人に一皿出されるのにそっくりだろう。

俺が善意で贅沢がしたくても出来ない長兄に俺の取り分からお小遣い位捻出しても良いと言う気持ちまで踏みにじったへたれ、これじゃ子供が喧嘩の時、絶対だな、神に誓うな、個人の自由だって言うのと一緒じゃないか。

まああの母親と一緒に住んだら気が狂うってのも理解出来ない訳ではないが、その狂った女の連帯保証人をやるなんてのは気違い沙汰であり、連帯保証をしておいて、俺が借金を返したのだから1億5千万でここを買ったと言う論理は成り立たないし、連帯保証は一やめたと言えないから皆悩んだりするのじゃないのか、結局母親を過信し、自分なら上手くやれると思い上がった過信が命取りになったと言える。

3年前に僕の銀行口座の件で、「どうする事も出来ない」と冷たく言い放った時から、この小心者は常に体制側で、頼りないと感じていたが、矢張りそこ迄の野郎だったって事だ。

今回もジェニーンに英語でも教えさせて日本に住もうかと考えている、隣のベルリッツみたいなところでと言った途端に「それは判らないけど」とまるでコネで口利いてくれと俺らが言ってるみたいな態度である。

「まあまあで事が解決出来れば世話無いわな」と一言を残して僕らは成城を去った。

大体分家あっての本家であり応援を惜しまないと言っている分家の弟を信用しないで、常に自分の取り分の事ばかり言ってる姉とつるんでいるってのは、最初に母親が東大生とまぐわってる現場に踏み込んでしまい、姉に「ママってのは本当に悪い人なんだよ」と報告した時から変わっていないと言う事であり今回の長兄の言動は致命的なミスである。

以下は同じように壊れてしまった次兄についてであるので、今回の一件とは関係無いのだが、長兄に言われるがままに、名義変更に判子をついてしまった、姉と次兄に母親を批判する資格等一つもない事が判明した形になった。

こんなに嫌われてるなんて思ってもみなかった。

例の僕と母親との関係を畜生道じゃないかと姉に言った次兄なんだが、結婚してから人柄が豹変してしまい、 会うたびに嫌がらせをされ、嫌味を言われるようになった、兄弟は他人の始まりとはよく言ったものだ。

こないだ帰国した時兄嫁が次兄が絡んでいる最中に「でも、Yちゃんが帰って来るの楽しみにしてたのよ」といけしゃぁしゃぁとして言ったのにもびっくりさせられたが、以前も僕が母親と戦っている時にも「色々救いの手を差し伸べたのにね」と長兄の嫁に抜かしたそうなので信用出来ない。

母親と次兄の癒着、異常な関係、

姉貴なんかはひょっとしてお袋と近親相姦だったんじゃないかなんて言っている位のマザコンである。
僕が成城に住むのは生活が安定しない自分には向いていないと判断して、成城の言えを賃貸しその家賃の半分で豪徳寺に住む事にした直後、次兄は母が「お父様の目の黒い内はあの林には絶対に手を付けない」と豪語していた雑木林を切り倒しセットバックも見に開発並みの河内住宅をイメージしたような窓枠が緑の変な家を建てたのだ。
その後新築及び成城進出の挨拶に代田の姉の家を訪ねた際、芳秋に勝った、芳秋とお袋は畜生道じゃないかと言ったらしい、姉はその時畜生道はあんたなんじゃないのと言ったとか言わなかったとか。(前述)
何せ母親が姉に「親子でも恋愛感情みたなものが出来るのよね」と言った事が暗示している、
僕の母親が「性欲は追及して行くと変態性欲になるって清ちゃんが言っていた」と言った事でも容易に納得が行く、

自伝総括編 「母親」でも書いたが、

「それは長兄が結婚した当時から始まっているから、今ではもう三十年にもなる。 それ以前にも、色々あったが、高じて来たのは家に他家からの女性が入ってからである。 未だにはっきりと思い出すのだが、会社が終わって家に戻ると、母と年子の兄が連れ立って食事に出掛け様としていたので、自分も未だ食事を済ませていなかったので同行する事にしたのだ。 テーブルに着くやいなや、母が兄嫁に対する悪口を言い始めたのである。 洋服のセンスが悪いだとか、大した内容のものではないが、聞くに耐えないので、私がその時、「嫁を虐めるのは止めろ」と言うと、今度は兄と二人掛かりで、私の生活態度に始まり諸々の事を言い始めたのだ。 余りにも気分をこわしてしまった私は、食事の途中で、隣の町から家迄歩いて返った記憶がある。 その時から、家族がバラバラになり、皆諦めて大人しくなる迄の数十年間、母の嫁いびりは続いたのである。 皆が疲れてしまい、大人しくなると、最近は皆と仲良くなって、私は善い姑だったと思うと独り善がりな事を言ったりもして実に滑稽である。なんせタフな女性なのである。」

思えばこの頃から次兄と母親の関係は一線を越えていたのかも知れない。

最近思い出したのだが、祖母が亡くなって僕の部屋が隠居所に突然移されるていた事がある、後で世話になるとも知らず、成城教会の紹介でW建設と言う会社に長兄と姉の部屋を増築した後に僕と次兄で隣り合わせに住んでいた事があって、そこから僕が何故突然隠居所に移されなければならなかったのか、今から思えばこれはまさに母親と次兄が親密な関係になっていた事の証だったのではないのか。

この頃は色々気持悪い事があった、一時隣家S氏の後家さんが母屋の元の応接間に下宿みたいにしてた事があってそのおばさんが僕が隠居所跡に彼女といたりすると頻繁にやってきて「何か手伝う事ないかしら」と訊くのだ、まるでお下の世話するわよと言わんばかりである、その頃付き合っていた彼女とベッドにいたりすると庭まで回りこんで中を覗って僕の名前を呼び続けていた事すらある。
結局その後家さんが母に無断で若い燕を連れ込んだかなんかで追い出されていなくなってしまったが。
お袋の淫行が頂点を極めていた頃なんだろうと今から思うと想像がつく、なんとも気味の悪い世界だったのだろう。

「隠居所の頃」

「或日会社から戻ると、私のベッドが無くなっていた。母に聞くと、「隠居所に移した」と言う。
祖母が亡くなって以来、祖父の隠居所は空家になっていて、不用心だからというのが理由だった。
私は、「あの暗いオバケの出そうな家に一人で住むのは嫌だ」と抵抗したが、後の祭りである。渋々、私はその隠居所に引っ越しをした。
部屋には未だ「文化勲章」だとか徳川様から祖父に宛てた公式の手紙だとかが、整理されずに残っていて、寂しい感じだったのである。
仕方なく私は、ベッドを以前祖父が応接に使っていた部屋に移し、電話も勝手に移動したりして、環境整備に取り掛かった。
それでも慣れる迄に大分時間が掛かってしまった。」(自伝から抜粋)

結婚してからがらっと変った

嫁の父親が大手新聞社の副社長だった時スキャンダルをもみ消して貰った事があるとか無いとか、、
そのスキャンダルだって今思えば自分と母親の腐った関係を暴露すると脅かされたのではないかと疑っている。

自伝にも「子供の事」として書いたが、

結婚する前に学生時代付き合っていた元の女房と一時別れて、その反動でこれでもかと言う程遊んでいた頃、よく、「こんなに避妊に気を使って、本当に子供が出来なかったらお笑いだな」と言っていたのを思い出し天罰が下ったと思った位ショックだったのである。 その事を次兄に又相談すると、自分も心配していたらしく、「俺だって子供は出来ない」と突然怒り出したのである。 私が、「調べたのか」と聞くと、「俺は生物学者の息子だ、それ位調べなくたって解る」と増々怒ったので、私もそれ以上続けられなくて、それっきりになってしまったのだが、それ以来私は、「悩んでいたのは自分だけじゃなかった」と仲間を発見して、少し安心していたのだが、離婚してから一時私が成城の家に住んで居た時、次兄は嫁さんの実家の傍の早稲田のマンションに住んで居て決まって二週間に一度実家に御機嫌伺いに来ていたので、それが丁度窓越しに見えて、「あれ、変だな」と思って良く見ると、どうも嫁さんの腹がでかくなっているみたいだった様に見えたので、二人が帰った頃合を見計らって、母に電話してみると、「そうなのよ私も知らなかったのよ、もう八ヶ月だって」と言ったので、「こいつしらばっくれやがって」と感じたものだった。 二週間に一度顔を出している人間の腹の大きさに幾ら個体差はあると言ったって、それに気が付かない母が余程間抜けか呑気に見えたのだ。 その時私は嫌な予感がしたのである。 私は大学で親族相続法のゼミを取り、卒論のテーマが「人工受精児の法的地位について」だったので、次兄が以前私に自信ありげに言った言葉を思い出していたのだ。 通常の人工受精では、弱い精子を幾ら混ぜても、卵子に到達出来るのはドナーの精子であり、試験管で無理矢理弱い精子を受精させれば、本来生れて来れない筈の命が誕生する恐れがあり、カトリックの私には当時考えも及ばない神を冒涜する行為だったのである。 私はその時、次兄が一人娘と結婚した立場の弱さに負けて変な気を起こしていない事だけを祈ったのである。 二ヶ月後に生れた子供は案の定、身体の不自由な子供だった、それを知った私は愕然とし、運命の厳しさを感じた。 その後少ししてから次兄が兄嫁の実家に養子に出たと私に伝わって来た。」

これについては生前父も「実におかしい、彼らには説明責任がある」と言っていた位なのである。

それ以来の腐れ縁だろう、

僕がこれだけ悩んで乗り切ろうとしたのだから、彼みたいに完全にいかれちまった人間には理解できないのかも知れないが迷惑千万である。

大体インセストの噂あり、婚外子だとの噂すらある。

最後にこいつと残されたらまともな話も出来ないのは目に見えている。

結婚するまでは極普通の兄弟だった。

結婚してからがらっと変った、、、

結婚話が出た当初、彼には台湾人の好きな子がいたみたいである、
それも、Tパーティーと呼ばれている今の嫁さんと出会ったお見合いパーティーで出会ったらしい、父親は都心で喫茶店を経営している台湾人の帰化人らしい、
一度、デートに車が必要なので僕の当時運転していたシビックを貸し、彼の乗っていたいジムニーを運転して自分の彼女の家迄行った記憶がある
相手はてっきり今の奥さんかと思っていたので、
最近になって帰国した際、思い出話として持ち出したら、二人とも記憶が無いと言っていたので、あれは、その台湾人とのデートだったんじゃないかと思った。
大体ネルトンパーティーじゃあるまいに、お見合いパーティーで二股掛けた野郎を見たのは初めてだ。

一時はあれは親父の子ではなくて親父の姉の旦那の子じゃないかなんても言ってた事もあり、DNAテストをした方が良いなんていって、彼の吸殻を採取してた事もあった程で、吸殻だけじゃ正確なDNAはわからない上に10万円も掛かると言うので却下になったらしい。

結婚して最初に呼ばれた時、嫁の前で、「芳秋はセックスがしたくて女と付き合う」と言われて、なんだこいつひでえことを言いやがると思ったのが始まりかな、、
その時父親は人間ではないと言ったのにはびっくり
母親のボーイフレンドの事は知っていると大した事が無いように言っていたのにもびっくり、この時の異常さたるや、近親相姦を裏付けると言っても過言ではない、現に父親の葬儀で次兄は棺を担がず義理の兄が慌てて飛び入りしたと言う経緯すらある。

次の時は、ハワイから帰って離婚して、家を追い出されて居た時、早稲田のマンションに呼ばれ、食事の間は音楽だとか、車だとかあたりさわりの無い話題をしていて、10時半になったのでそろそろお暇をと思ったら、「未だその女の事を話してないだろう」と居丈高になった。

その後は法事の時に一度あったかな、何も話はしなかった。
一つ救われたのは甥っ子が彼の車には乗りたがらなくて俺のに乗って呉れた事かな、、


さやかを愛して結婚したわけじゃない、、と怒鳴ったのは何処のどいつだ
それを母親に話したら「そんな事言ったら、可哀想じゃないの」と抜かした、
何が可哀想だ、何かを隠している証拠だ、

僕が子供が出来ないと判って嘆いていたら、「俺だって出来ない」と怒鳴り、「調べたのか」と訊ねると、

「子供が出来ないのは生物学者の息子である自分が一番良く知っている」と更に声を大きくして怒鳴った。
そんな事のあった後ですよ、突然嫁さんの腹がでかくなったのは、

お前なんか風邪を引く権利は無い
誰も居ない二階に二人で居た時やられた、
下に下りて来ると恰も何も無かったように振る舞い、
頭に来たのであたまから味噌汁を引っ掛けてやった。

僕の店に酔っ払って乱入し、ミーティング中なのにも関わらず、相手構わずしゃべりまくった。

最後は、実家の脇に車を停めていたら、二回110番をされてしまった、
それも、職人が入っていて、車寄せに車を停めていたので、止む無く路上駐車をしたのに、
その職人が警察が来たと言うので、一度動かしたら、又110番されてしまい、大事になった。
道の真ん中で警察と喧嘩、途中でお袋も騒ぎを聞きつけて出て来て、結局は
薫が出て来て、俺が110番したと言った、
「俺の事がそんなに嫌いか」と怒鳴ってやった。
その後初めて実家の庭に新築した彼の家に招待された、、
成城では地下室を作ると主人が死ぬという言い伝えがあるのにも関わらず地下室付きである。
色々仲良く話したのも束の間、インターネットが繋がっていたので、自分のホームページを見せようとしたら、怒りだした、手の付けようがない。

今回ブログが荒らしにあった時、状況をを色々検討して、書き込まれた内容から、年子の兄の仕業と気が付いた時は背中を寒いものが走ってぞっとした。
ハンドルネームが、まりあ、もーぜ、いえすとなっていたので、親子三人で交互に書き込みしたのだろう。
「うそつくとてんごくえ行けない」という仮名遣いの間違ったのは障害のある息子、「うそついて罪悪感はないのか」ってのが鉄面皮の女房。
本人は「親をけなしつずけるとはかわいそうな人生」とか多数。
気に入らないので、そのinfoweb.ne.jpってドメインを書き込み禁止にしたら、今度はライブドアーの方にやられた、御丁寧に125.0.66.82というIPアドレスまで残して呉れた、「カトリック界の恥だ」とも言っていた、僕の知り合いでニフティーを使ってカトリックなのは一人しかいない。
大体カトリックじゃなかったらカトリック界なんて言葉は使わないだろう。

その後どういう訳かプロバイダーをニフティーからKDDIに変更したみたいなので発覚を恐れての事と思われる。

他にもカトリックが一人いるが最近連絡を取った事もないし、インターネットを使うかも判らないし、彼自身が父親からモラハラを受けていてその点については意見を一致させていた事もあるので容疑者から除外した。

僕はブログでは自分がカトリックである事は極力避けて通っている、何も隠している訳ではないが、一神教対多神教の論争を避ける為でもある。

僕は一神教も所詮人間の個の追及から生まれたものと確信しているのでこの世で出来るのは一神論までで、後は信じるか信じないかの個人の選択に任す他は無いと思っている。

大体人がM蛋白が検出されたと言ってる時に、「お前にぴったりの天罰」だと書き込む位だからすごいカトリックもいたものである。

オーストラリア人との再婚により、母親のモラハラから逃れられた人間に対して、又、27歳年下の女性と結婚する事により子供が出来ないつらさから多少ともなり逃れられ7年間以上日本から離れている交信すら無い人間に、わざわざそこまで嫌がらせしなきゃいけない理由は無いだろう。

今明かされる土地売却事件の全貌

*黒字で書いたのが50の時したためた自伝の抄であり、紺色の字で書いたものが今回64の時点で新たに発覚した事実をあわせて補完したものである。

土地売却事件

会社を辞めて少ししてから、私の許に母の依頼していた税理士から電話が入り、私に印鑑証明を二通用意して欲しいと言った。
 私が用途は何かと訊ねても、その税理士は誤摩化して答えなかった。
 怪しいと思った私は、休みの日に、実家に預けてあった実印を、忍び込んでこっそり取り戻してしまった。 それから数日経って、母から電話が入り、実家の土地を売りたがっている事が判明した。
私はその時母に、「先祖代々の土地を売る事はまかりならん、ましてや嫁の分際で土地を売るのはけしからん」と答えたのだ。

この「嫁の分際で土地を売るのはけしからん」と言ったのが、母親のフィクションで恰も兄が言ったようになっているが、元々賄賂を貰って判子をついた張本人が言う筈もなく、兄が賛成派だったということをカモフラージュする為の偽装である。

 その言葉は、兄が言った事になっているが、実は私が言ったのである。
当時は地価が一番高騰していた時期で、坪千五百万して居り、下手をするとサラリーマンが一生掛けても稼げない金額になってしまうので人生を狂わせるから、自分はあくまで反対だ言い張ったのである。
母が売りたがっている土地に丁度祖母が生きている時に贈与してくれた私の持ち分が十六坪あったので、別の場所に等価交換する寸法だったのである。
 聞けば、他の兄弟達は当時アメリカに居た姉を含めて皆判をついたと言う。
長兄の持ち分だけがそこから外れていたらしい。

これは以前より疑問に思っていたのだが、追求しそびれていた部分である、今回の一時帰国の時もあの縁側での言い合いの事を口にだしたら、口々にいつ、とか俺を糾弾したが、兄がその時「俺の持分はこっちに飛んでいたんだ」ととぼけていた部分である。

今でも、覚えているが、和室の縁側の所で、兄に、「自分が判をつかなければ売れないんだよ」と念を押した記憶がある。
 新しく私の物になる予定の所が、通路部分であった事もあって、、最終的に私は、どうせ売るなら等価交換なんてしないで自分の名義のまま売ってくれと答えた。
そして私は、にわか成り金になったのである。
今こうして文章を書いていられるのもその御先祖様の土地のお陰である。
今から思えば、母が私に家を建ててくれると言った時から、この土地の売却は母の計画に既に入っていて、あの度重なる増築はそれを暗示していた事に、当時生活するだけもやっとだった私は気が付かなかったのである。

親との対立

一時相続税対策と称して母親がマンション経営に乗り出した事があり、その時のやり方が余りに素人臭くそのマンションの会社の担当者と何やら会社を設立して、直接管理をするという事になっているらしい事を突き止めたのである。
これは一大事と乗り出し、一時母親が経営していた画廊の代表取締役をしていた事がある。
その会社の役員にもそれじゃまるで双方代理ではないか、それは違法ではないのかと詰め寄ったが、身内がそれをやっていたのでは、民法も何の役にも立たないものである。

話がマンションのテナントが入らないと言う件になり、結局建築確認が取れていない為に、今流行りの保育園には都から補助金が出る為に建築確認が無いと貸し出せないと言う事が判ったと言う話題になった。

あれが違法建築である事は僕が会社をやめて不動産屋をしてた頃から話題になっていた、母が屋上の貯水タンクの見場が悪いと勝手に地下室を掘ってそこに設置した為に建築確認が取れなくなったと確か当時も話題になった筈である。

母が宅建主任を持っていた三井農林の担当者と秘密裏に不動産管理会社を設立しようとしてた時だって、三井農林の重役にこれは双方代理であり背信行為だと言って、その担当者が俺に飛び掛って来ようとした位である。

僕が「あそこが違法建築なのは僕も知っていた、僕は建築家の藤井さんにその件を言ったら彼がむっとして、『違法建築じゃない』と言ってたぜ」と言うと、

「教えて呉れなかったじゃないですか」と長兄が言った。

大体その頃は皆で俺を悪人にしたて上げて追い出しを図っていたじゃないか。
僕が成城に見切りを付け、建てて貰った家の家賃の半額を貰うと言う約束で豪徳寺に引越し、それでも家賃が高すぎると今度は大蔵五丁目に引越しをさせられ、引っ越すたびにカーテンを替えなくちゃならないで出費がかさむ、それをある時長兄にいったら「カーテンなんか自分で払うのが当たり前だろうと」怒鳴った、自分は自分で家賃払った事が一体あるのかよ。

兄弟が自分なら母親と上手くやれると次々と乗り込んで来たのは僕が成城を撤退した後である、

「お父様が生きてる内は絶対にこの林は切らない」とお袋が断言していた土地に養子に出た次兄があの三井農林を使って地下室付きの家を建てたのだ、その頃母は乱費癖で資金減になったからか、養子に出た次兄に土地を売って金を取ろうとしていたらしい、結局は踏み倒されたらしいが、実の息子に土地を売ろうとする方も売ろうとする方である。

大体成城に家を建てる事が決まって、次兄は代田の姉夫婦のところに挨拶に行ったらしい、その時に俺と母親の関係を「畜生道じゃないのか」と言ったらしい、その時姉はこれは自分が母親と出来ていたので弟もそうじゃないかと嫉妬したに違いないと思ったと言っていた、その時、弟に勝ったと明言したらしい。

成城は昔古戦場だった為に地下を掘ると必ず主人が死んだりとたたりが起こると言い伝えられて来た、それをよりによって民間伝承の本家で続けざまに地下を掘ればそりゃ祟るわなと言う感じである。

今回も長兄が「お前が柳田國男の生まれ代わりならなんとかしろ」みたいな事をわめいていたが、柳田國男の名誉こそ守るが下らない欲の権化達まで守る積もりは毛頭ない。

柳田國男が養子先の金の事ばかり心配する義母に「そんなに心配なら壷に入れて床下に穴を掘って埋めておきなさい」と言ったのは有名な話ではないか。

柳田國男の事を何も判っていない、ましてや生まれ変わりにこの態度を取ったら救いようも無い。

僕が思い余って、「大体最初に文筆登記されていた土地の等価交換に判子ついたのがいけないんじゃないか」、「僕があの縁側で、僕が判子つかなけりゃ土地は売れないのですよと言ったじゃないか」と言うと、兄と義姉二人が口を揃えて、何年の何月何日だ、とまるで子供のように言い出した、今でも覚えているが、その時「なんだそんな事も決断出来ないのか」と兄に迫ると、「俺は人一倍気が小さくて何も出来ないんだよ」と言ったのである。

筆者が代表になった途端母親のサボタージュが始まり一切の協力をしないのであった。
いくら流通業出身の自分でも、台帳は無し、予定表も無い画廊の経営は出来ない。 先ずそこから取り掛かろうとしたが、母は協力を拒絶したのである。 母親の横暴なやり方に批判的だった自分は、事有る毎に両親とぶつかった。
一時は暴力的にもなり父に詰め寄った事もある、後で彼女は芳秋が日本刀を振り回したと言いふらして歩いた、日本刀等俺には重すぎて振り回せる訳が無い。
普段から俺は武士だと言って威張り反っていた親父に、女房の横暴をここ迄許す男は武士だったら切腹しろと迫ったのである。 話し合おうにものらりくらり逃げ回って、話にならない、こちらがカッとなって一寸暴力的になると彼女の思うつぼである。 裸足で家の周りを今にも殺されそうな声を出して裸足で逃げ回る。
彼女のやり方は汚い、今考えれば、父をあれだけ腑抜けみたいにしてしまった女に立ち向かった自分の方が、無知だったとも言える。

ある日、母は企画中の展覧会を含め、全てを放り出して家を逃げ出したのである。
その日から私は、何も引き継ぎがなされていない画廊の業務に振り回された。
ある時名前も名乗らない人が画廊に電話をして来て、「何か御子息が御病気だそうで」と言った、その時私は、又母が自分を悪者にして言いふらしているいる事を知ったのである。
途中から母が居ないと何も出来ない父も居なくなり、夫婦揃っての逃避行をやってのけたのである。
その頃私は豪徳寺に住んでいたので、何時もの様に画廊に出勤すると、大きなトラックが横付けになっていた。
何が起ったのかと、慌てて外に出ると、「話があるのはこちらの方だ」と威丈高になっている男がいた。聞くと、弁護士だそうだ。
丁度良いので、それでは画廊に行ってお話ししましょうという事になり、画廊で訳を話したのである。
こちらも法学部出身なので、法律は詳しいものだから、その時その弁護士を説得してしまい、それがいけなかったのである。
後でその弁護士を母に紹介した母の女学校時代の同級生のTさんに聞いたのだが、その後その弁護士は「芳秋さんの言っている事の方が、筋が通っている」と言って母を説得しようとしたそうである。
言わば好意で仲裁してくれようとしたのである。
その時の母の言い草が奮っている。「あんたそれでも男なの、息子一匹抑えられないで」「誰がお金を払っていると思っているの」とその弁護士に言ったそうである。
そう言われたらどんな弁護士でも、業務に忠実に取り組む他は無い。
これも後で同じ人から聞いた話だが、母からこっぴどくやられた弁護士は、Tさんに「こういう話は、長引けば長引く方が儲かるんだ」と言ったそうである。

その後、その弁護士を通じて、「許可無く、別荘を含む敷地に立ち入る事を禁ず」、「実家に来て、暴言を吐けば法廷相続人の地位を剥奪する」という覚え書きを突き付けられて、代表取締役を辞任するか、一方的に解任されるかと迫られたのである。
私はは弁護士に「こんな一方的な覚え書きにサインする馬鹿がどこにいる、解任するなら勝手にやれ」と突っ返した。
結局姉夫婦に相談して間に立って貰い、こちらから辞任する事にした。
その時、今でも覚えているが、姉夫婦に立ち会って貰い、弁護士を交えて両親と話したのだが、義理の兄が「何故、芳秋さんに協力して上げないんだ」と言ってくれ、それ以来両親と義理の兄の間も気まずくなってしまったのである。
これもひとえに私が至らない為であり、申し訳無く感じている。
離婚以来、公式の席への参加は許されず、「これでは村八分ならぬ村十分である」と言っていた、家との確執が最高に達した時期である。
私にとって、母親の栄光の歴史はそのまま恥辱の歴史であり、矢張り両親との確執が決定的になってから、自分は変ったとしか言い様が無い。

親を見切る

その後決定的に私を吹っ切らせる事件があり、一時執筆も中断していたが、不況で自分達で経営している会社も鳴かず飛ばずである事を良い事に、再度挑戦してみる事にしたのである。
その事件とは、母が私にマンションを買う様に勧め、物件も決め、頭金も支払い、あと一月で完成引き渡しという時に、こちらのビジネスは活性化しない、従って期待していた金も入らない、残金は実家で持つと言う甘言に乗せられた自分が馬鹿だったのだが、自分は頭金を持ったのだし、家族もいないので、名義は誰の物でも関係無い、持ち分が少なくなるだけだ、拠ん所なくなったら貸せば良い、投資物件としては、下手に現金で持っているより利回りが良い等と軽く考えていたのが大間違いだったのである。

購入を決めた少し前に、家族会議を開き遺言状も家族で各々の相続分を確認した後の事で、以前不動産業をかじった事のある私は、自分の持ち分の土地も少ししか無い事だし、この地価の下がり様じゃ何も残らないと早々と判断していた自分は、連帯保証人になっている兄が気の毒に思い、その時は盲判を押したのだが、前の事件の時海外赴任していて、いきさつを良く知らないで、疎遠になってしまっていた、長兄の逆鱗にふれ、支払い期限ぎりぎりに母が逃走するという事件が勃発したのである。

自分で家賃払った経験すらなく母親に勝ってに居所を移動させられる度にカーテンは自費で取り替えなくちゃならない弟に「カーテンなんか自分で払うのが当たり前だろうと」怒鳴った、長兄が、大体相続が決まった後に財産の移動をすることまかりならぬって、父親の財産ならまだしも、母親の財産まで干渉する権利などどこにもない、ましてや今回発覚した、別荘地贈与の賄賂を受け取り、母親が先祖代々の土地を売る事に加担した罪は重い。

前の事件以来その時迄は私は悪者にされていて、その家族会議は何十年ぶりに皆が一同に集まったという感じだったのであるが、そんな事も忘れ、それに気を良くした母が末っ子に接近して来たのにも気付かず乗ってしまった自分が馬鹿で悔やまれるのである。
逃げる前に、母は実家に同居している兄嫁にも「芳秋が何をするかも知れないから、家には鍵を掛けておけ、乱暴したら警察を呼ぶように」と言い残したからたまらない、期限が次の日に迫ってしまい、担当者に電話しても、 「一度お電話を頂きましたが、外出していたものですからお話し出来なくて」 「その後御実家にお電話差し上げたのですが、どなたもお出にならなくて」、と打つ手が無いという感じだった。
方々電話してみたが埒が開かず、途方に暮れている処、司法書士にアポイントメントをとったというところ迄は調べが付いたがその後が判らない、結局は諦めて、預けてあった契約書を取りに雨の中を実家に行くと、ドアと言うドアに鍵が掛かっていて、中に親父と兄嫁がいるのは見える、二人とも眼があっても困った顔をするだけで開けて呉れない。
これが、母が仕組んだ罠だったとその時知っていたら、雨さえ降っていなかったらと今だから思うが、後悔先に立たずである。
私はまんまとその罠に掛かってしまい、そこにあった石で縁側の通用口の硝子を割っていたのである。
幸い警察は呼ばれなくて、事無きを得たが、手に怪我を負ってしまった。

その後すったもんだしたが、違約金を払い、損失分は兄が実家から補填する様に取り計らって呉れたので助かったが、一時は又悪者にされるかと思って悩んだものである。 子供というものは、どんなに悪い母親でも必ず信じようとするものである。 私の母の様に、各々の子供に違う事を言い、子供がお互いに猜疑心を持合う間隙を縫って、漁夫の利を得るタイプは少ないのだと思うが、お陰でそれ以来長兄とは仲良く付き合わせて貰っている。 その頃、テレビ・コマーシャルに、「MOTHER、Mを取ったらOTHER、他人です」というのがあって、私はそれを聞く度に、このMは、MORALのMだと思ったものである。 男三人共がサラリーマンだと、一人が日本にいればもう一人は海外という感じで、皆が一同に顔を合わせるなんて機会は滅多に無い事なのであり、若い頃はお互いの競争心もあるし、それぞれ結婚して配偶者が出来ると利害もかち合うので、なんせ戦争を挟んだ年子が二組いる訳だから、お互いの立場を理解し合おうと思う方が間違っているとも言える位であり、そんな心の隙間を母に利用されてしまったと言う感じである。

 

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