再生塾

原罪と贖罪

肉の束縛を原罪と呼ぶなら、それに対して当然贖罪という概念が出て来る。 好きで生まれて来た訳じゃないのだから、罪という言葉には抵抗があるかも知れないが、人間が環境を破壊し、資源を枯渇させるという状況からみると、矢張り人間は罪作りな動物と言わざるを得ない。 これ程迄に旨く機能しない条件が具わっていると諦めざるを得ない様にも思える。

人間一人一人のライフスパンは非常に短く、生まれたばかりの人と死に向う人の差は精々80から90位であり、この80年から90年の間に何か画期的な解決策が見つかるとも思えず、人は半ば諦め、自棄になる人もいれば、宗教にのめり込む人もいる。 この様に人生は悩む事無しに過ごすには余りにも長く、問題を解決する為には余りにも短い。 まさに「少年老い易く学成り難し」である。

これらの事からみて、集団としての人間は救いようが無く、救いはあく迄も個人の心にもたらされるものである事が判る。 要は如何に人生を過ごすか、如何に良い人生を送るかに掛かって来る。

人間が悩む動物でなければ、救いについても考える必要も無いが、不幸な事に人間は些細な事でも悩み、又人生の意義についても悩む様に出来ているので、誰も知らない死後の世界についても思いを巡らすのである。

もう二度とこの世に生れ変わりたくないと思う人は、生きている間は精々良い人間でありたいと願う。 個人に出来る事は、心の浄化の為の日々の善行しか救いを求める方法は無く、日常の単純な営みに意義を見い出す事しか無い。

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DA VINCI(ryu-o@ha.bekkoame.ne.jp)