再生塾

「個」と「全」

「個」は「全」へ繋がる只一つの窓であり、「個」がいくら集まった集団でも「全」になる事はない。 それは「個」は「個」のままで「全」だからであり、富士の麓で群がる集団よりも、富士の頂きで雲の上を見つめる個人の方が大切という事である。 「個」と「全」が断絶している社会の営みは不毛であり、全て虚しい。

個人が「全」への窓を開き、「始原追求姿勢」と日常の営みが繋がって初めて、社会は正常に機能していると言えるのである。 現代の日本の社会システムは形だけは近代社会の様相を呈しているが、「画龍天晴を欠く」と言うか、「仏造って魂入れず」と言うか、いや、正確に言えば魂を抜かれてしまった仏の様な状態であり、言わば似非である。

「個」の概念は15世紀にヴェネチアで優れた鏡が発明されて生まれたと言われている。 「個」の意識が高まった時初めてルネサンスは興る。 それには個々人が自分を見つめ直し、果たして自分はベストを尽くしているか常に自分に問い掛ける姿勢が必須なのである。

個は全を包含する。全は個の内に在り、個の外には別の個が在るのみ。 「個」の外側を通って「全」に到達する事は出来ず、「個」の内側を通ってのみ「全」に到達する事が出来るのである。 眼を外ばかりに向けないで内側に向ける事である。 つまり、俗に言う「自分の胸に手を当てて聞いてみる」事である。

神が居ないから個が確立されないのではなく、個が確立されないから神が居ないのである。

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DA VINCI(da-vinci@sco.bekkoame.ne.jp)